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アンドロイド映画制作の可能性

松山:映画をつくる計画があったと?

石黒:まあ、お金のかからない「エクス・マキナ」みたいなやつかな。僕らロボットをつくっていると、ロボットに妙な人間らしさを感じたりするじゃないですか。そういうのがもうちょっと伝わるような。

ヒューマン・ロボット・インタラクションの一番難しいところは、触ってもらったら分かるとかしゃべれば分かるとか、例えばうちのアンドロイド動いてたけど、見るのと聞くのと写真とではぜんぜん違うじゃないですか。あの迫力が出るような映画が作れないかと。

普通のアンドロイドの映画だと、まあ、ストーリーがあって、アンドロイドだなって見るんだけど。あのアンドロイドだと人間らしすぎるのか、生首があって存在感があるのにちゃんとコンピュータで制御されて動いちゃってる。映画は本当のロボットを使っていないので、制御されてる人間らしさっていうのがすごい中途半端で完全なアンドロイドになっちゃってる。で、そうじゃないんですよ、たぶん。完全な人間になりきれない、ぎこちない制御みたいなところが残るのが、ロボットらしい存在感。

不気味の谷」って話があるんだけど、「不気味の谷」ってないと困るんですよ。僕は本当は、昔は避けなければいけないと思ってアンドロイドを造ってたんだけど、避けちゃいけない、ある意味。それがないと、人を引き付けられない、ユニークにならない、そういうものでもあるんですよ。例えば僕の存在っていうのは、人から見ると、若干不気味なんですけど、そういうものでないと、人はユニークになれないというのもある。ロボットやアンドロイドがユニークであるためには若干の不気味さがないといけない。完全に人になるならいいんです、でもそれは区別のつかない人でしかない。それは物語にもアンドロイドにも映画にもならない気がするんです。

Geminoid HI-5 (Photo © Yoichi Matsuyama)

「不気味の谷」と「笑い」

石黒:最近、「不気味の谷」に対する考え方が変わってきていて、たとえば笑うってどういうことなんだというのを今考えている。ゲラゲラ笑う話ではなく、ユーモアの方で、実は笑いを誰も研究していない。どのくらい人は笑いにこだわるのか、皆笑うじゃない?笑いは大事というか誰も研究していない。僕は見かけの話をしたときと同じ、見かけって誰でも気にするし、むっちゃ重要なのに誰も研究しない、てやり始めたんだけど。笑いも同じで、これほど笑いが重要だっていってるのに誰も研究していないのは絶対おかしい。僕は笑いって人間の進化の原理と思ってる。ユニークだとかユーモアがあるっていうのが人とちょっと違うところで、めちゃめちゃ違ったら笑えないんだけど、ほんのちょっと違うものに対して人間は笑う。それはユニークな人を認めましょうとか、要するに進化の原理で、人とは少し違ってもしかしたらコイツはスゴいかもしれないという予感をさせるものに対して笑う、アンドロイドもそういうものでなければいけない。もしかしたらアメリカやヨーロッパでは受け入れられないかもしれない。要するに人類至上主義の国では、新しい種族が出てくるっていうのはたぶん許してもらえない。まあ、たぶん日本はあんまりそういうのは気にしないんでね、新しい友だちが来るんだ、くらいに思って受け入れてくれるんじゃないかと思う。

人間そっくりのアンドロイドは目指すが、完璧に一致させる必要は全然なくて、一方でユニークであることがすごく重要。お笑いの話もそうだし、あのロボットって面白いねと言われるとか、ロボットの視点から何かを言うとか、人間では言えないことを言うところに、本当のロボットの新しい種族としての可能性が出てくるんだと思ってる。そういう映画を造りたかったんです。ハリウッドの映画のように、人間の仕事を奪って、ああ大変、最後はロボット全部壊れてハッピーでした、じゃなくて、人間の本当の進化はアンドロイドがいないと達成できないのかもしれないぐらいに感じさせるような、人間の進化の原理に根付いた説明でもって映画をつくれたら面白いなと思ってるんだけど。

松山:やらないんですか。

石黒:今まず研究ベースで始めていて、映画とかSFとかアートに僕が興味があるのは、どうせたかがあと10年でできることは限られているですよ。いちいちなんとか実験やってたって、前に進めないんですよ。思い描いたことをバンバン実現するには、アートや映画の世界って意味有るんですよ。だから映画やってもいいかな、アートやってもいいかなと。たとえばオルタ(Alter)って最近東大の池上高志先生とやってる、あれいっぱい賞もらってるんですよ  [Ikegami et al. 2017] 。でもメディア、アートの世界ってフォーマットに則ったやつじゃないと一番を取れない。あれ アンドロイド演劇も3番目の賞で、でもいちばん人気があるんですよ。アートの世界でそこを食い扶持にしてるひとたちは自分たちがつくったフォーマットを崩さない。生命とはなにかをやりたい。

Sayonara © Tatsuo Nambu / Aichi Triennale 2010

中でやってるのは、非常に複雑なCPG(Central Pattern Generator:脊髄に存在し、歩行などの周期的な運動を生成する仕組み)とIzhikevichのスパイキング・ニューラルネットワークという人間型のニューラルネットワークで動かしてるんだけど、原理はよくわかってない [Izhikevich 2003]。動かしちゃうと、生き物のようになるし、本当になにか考えてるとか、いろんなこと想像させるような、まあそういうアプローチでやってみてもいいかなと。だからアートとしては大成功。それこそ、Ars Electronicaの二番目の賞でも、本職だったらそれで食っていけるぐらいの賞なんで。

松山:ちなみに石黒先生はご自身が「不気味」であるという意識はお持ちなんですか?

石黒:いや、僕は全然持ってなかったんだけど。皆最近、そういうことよく言われる。

松山:よく聞かれるかもしれないのですが、いい意味でスタイルを持ってらっしゃると思うんですけど、服装もそうですし。どう見てもらおうとする意識ってお持ちなんですか?

石黒:見かけってこと?

松山:ええ。

石黒:まあ、知らず知らずのうちにやってるのかもしれないけど。アイデンティティってなにかと考えたときに、見かけの問題もそうだけど、人間にとって基本的な問題考えるじゃないですか。服なんていちばんアイデンティティがはっきるするやつで。服と顔と名前で。名前変えないでしょ?アイデンティティだと思うでしょ?顔はときどき変わるんだけど、あんまり変わらない。服はしょっちゅう変わるでしょ?いちばん強いのは服ですよ。

遠くから歩いてきて、服が目立って、顔が見えて、話すまでは名前なんて知らないですから。だから名前のアイデンティティなんてそんなに強くない。だから僕の服装は学生のときから変わってない。

Alter © Justine Emard

アーティストとしての原点

松山:石黒先生のアーティストとしての原点、原体験は何でしょうか。

石黒:小学校・中学校・高校ではずっと絵を描いていて。風景画でも人物画でもなんでも描いてたんですけど、最後の方は風景画しか描かなくなって。小さい頃は賞をいっぱいもらってました。大学も三回生くらいまでは個展とかやったり、絵しか描いてなかったんだけど。絵画教室とか行ってたけど、ほんとに割と真面目にというか、やることなかったら絵でも描いていければいいなあぐらいな感じはあったんだけど。まあ、そんなに簡単じゃないし、で、ちょうどコンピュータ流行り出した頃だったんで、コンピュータを勉強しちゃったんですね。でもまあ、絵を描くっていのうはキャンバスの上に人間らしさを表現するようなもんだから、そういう意味ではロボットでも同じことやってるわけで。

松山:アーティストとしてのロールモデル、あるいは好きなアーティストは?

石黒:画家はいましたよ、コローとか。でも、憧れるのはシャガール。ピカソとかはどうでもいいんですよね。

松山:シャガールがお好きなのはなぜですか。

石黒:僕は理屈で描くひとなんで、理屈で描いてないひとがすごいと思う。頭の中に出てきたイメージだけで描いてるひとがすごい。サイトウマコトさんとか、あの絵を見れば理屈が分かるんだけれども、あのひと一切の理屈を勉強せずに描いてる。そういうひとはすごいなと思う。だから僕は、割と未練なくコンピュータのほうに行ったんですよ。絵の描き方が、頭の中に出てきた通りというよりも、それを一生懸命に理論的に掘り起こすような作業をずっとやるので。

松山:すごく腑に落ちる話ですね。やはりアーティストのある意味延長線上で、今ロボットをつくってらっしゃるという意識なんですか?

I and the Village, Marc Chagall (1912). Royal Museums of Fine Arts of Belgium © RMFAB, Brussels

石黒:たとえばテレノイドとか [Ishiguro et al. 2011] 。アーティストとして大事にしている感覚は直感。結局同じことで、絵を描いていくときも、直感で描いていくんだけれども、最終的になぜそこにその線をひくのかというというのを全部説明できないと嫌なタイプなんですよね。研究も同じで、研究で重要なのはいろんな要素をつなぎ合わせて、すごいものをまずぼんっと作って、後づけで全部説明できないといけない。例えばテレノイドって、夜寝てるときかわからないけど、急にボンッとイメージが出たんですよ。それを単に具現化するためにぬいぐるみ師とか、造形師とかに「こういう感じのやつ」と全部頼んで、全部アウトで、全然僕の思ったような形が再構成されなくて。結局、クレイモデルをコンピュータグラフィックスでクレイモデルと同じようなものができるというソフトを使わせてもらって、オペレータ雇って、僕のイメージになるまで削ったりなんかしてできたのがテレノイド。

Telenoid © ATR + Hiroshi Ishiguro Laboratory

松山:理屈で引き算してできたものではないと?

石黒:あれは違います。引き算してない。引き算することは最初から考えていたんだけど、あれはいきなり出てきたもの。なんであれが、年齢とか性別が分からないかと言うと、左右対称にすれば性別消えるよねとか。オトナの顔の造形でこどもの頭とか顔、体の比率にすると年齢消えるとか。そういのうは全部後づけで、最初から全部狙ったわけではなくて。僕がイメージするニュートラルな人間というのがあって、ニュートラルな人間を作りたいというのはあった。人間にしか見えないけれど、誰か一切わからない、一切のアイデンティティを排除したものをつくろうというのがあった、それがテレノイドだった。で、そっからハグビーとか作ったものは丁寧に排除していった。だからたぶんあれは誰もつくれないと思います。

引き算やってるのは、目の動きを止めてみるとか、たとえば瞬きするときに半分しか瞬きさせないとか、いろいろ引き算できる要素はたくさんあるんですよ。そういうことはもちろんやってるんですけど。ERICAは結構引き算ですよ [Ishiguro et al. 2016] 。引き算する前にいっぱい人間のコピー作ったじゃないですか。でもERICAは完璧に左右対称で、引き算していくとだいたい美人になるんですよ。結構ERICAの顔はテレノイドにだんだん近づいてるんですね。でもテレノイドはいきなりやってきたわけ。ERICAとか最近つくってるアンドロイドはまさに引き算。

ONE OF THEM IS A HUMAN (ERICA) © Maija Tammi

直感 – アートとサイエンス

松山:個人的に非常に腑に落ちる話です。実は私も最初はアートのほうに行こうと思ってたんです。でもキャリアをシフトして、大学院でロボティクスやコンピュータサイエンスを猛勉強することになったんですが、同時にデッサンを真面目に勉強したんですよ。

石黒:僕も結構やりましたよ。

松山:先生のおっしゃるようにうまいデッサンを描くひとっていうのは、どこで止めても論理的に説明できるんですよね。今どこの作業をしているのかっていうのが、東京藝大あたりの学生たちが教えてくれたんですが、彼らはものすごく論理的でそこが僕は好きだったんですけど。それとロボットの設計は極めて近いなということがあって。

石黒:デッサンは論理的ですよね、ちゃんと勉強するとね。何をどの順番でどう描いていくかとかね。

松山:パースやレンダリングもそうですし、それ自体はアートじゃないんだと思うんですけど、ある種の技術だと思うんですけど。

石黒:でも、まあアートの語源は技術だからね。だから直感を使うかどうか、ぐらいの話なのかなと思うんだけど。だから説明できない直感はだめ。僕がすごいと思ってるのは、サイトウマコトさんの絵もシャガールの絵も、いいと思うじゃないですか。そのうち説明できるはずなんですよ。でも説明する前に作品がつくれるのがすごいなと思うわけ。僕らも絵を描いてるときは、説明つくりながらやってるんで、完成したときに結構説明できちゃう。だけどシャガールの絵は本人さえも説明できないのにすごいですよ。新しい問題を発見できるのがアーティストの特権みたいなものなんだけれども、僕らは同時に説明できて再現性も持たせることができちゃう。それが技術者・科学者の特権なんですよね。アーティストがすごいのは再現性を持たせないし、説明もつけないのになんかすごいものを作っちゃうというのがすごい。

例えば山中伸弥先生のやつも、直感がきかないとあの組合わせ問題は解けなかったし [Yamanaka et al. 2006]。まあ、みんなそういうなんか直感があるんだと思うんですよ。だから新しいことやるのに直感以外に頼るものはないから。だからその直感がないひとは、研究者でもアーティストでもたぶんだめなんですよね。ただ、研究者がシビアなのは、説明を最終的に全部つけて再現性を持たせないと、研究者としては食っていけない。僕がロボットにこだわっているのは、ロボットは再現性なんですよ。要するに「人間らしいものをつくりました」と言ったときに、絵や芸術だと「あんたしか描けないじゃん」てことになる。でも、ロボットだったらコピーできるでしょ、と。絵でももちろんコピーできるんだけれども、絵は動かないし、その一枚だけだから。でも、ロボットはいろんなことをやってくれるわけで、それをコピーできるということは、いわば構成的な科学というか、説明で再現性を与えるんじゃなくてできあがったもので説明性を担保するような、新しい科学になるだろうなと思ってる。

「ジェミノイドHI-5は石黒浩ATRフェロー/大阪大学教授の頭部に酷似した見かけをもった遠隔操作型アンドロイドです.全体で16個の自由度を持っており,表情やアイコンタクトなどの人の振る舞いを再現する事ができます.我々はこのアンドロイドを用いて,人の存在感とは一体何であるのか,また人の存在感は遠隔地へ伝達することができるか,といった疑問を実験を通じて明らかにします.」

松山:なるほど。そういう意味では、ERATOの出口はどうお考えですか?

石黒:ERATOはちょっと特殊なプログラムで、要するにゴールがあるようでない。好きに思いっきりやりなさい、と。むしろ、CRESTの方がやりやすいっちゃやりやすい。ここまで宣言したんだからここまでやりましょ、と。例えば、テレノイドはCRESTのやつでやってたんだけど、高い評価をもらったと思うんですけど、割とゴールがはっきり宣言されてるんでやりやすい。ERATOはむしろ、領域代表と研究者が一緒なので。CRESTのほうは領域代表の先生に評価してもらうけど、ERATOのほうはそうじゃないですからね。だから逆に、もっと自分を追い詰めていかないと新しいものはつくれないですし。自由だからいろいろ新しいことにはチャレンジできるんだけれども、そうすると雲をつかむような話をやりがちになる。それで結果を残すのは結構大変かな、と。でも、まあ、ほかの予算ではできないんでね。たとえば意図や欲求の話は、僕はもっとストレートにやるべきだと思ったし。「トータルチューリングテスト」みたいなものは、河原先生は割とこだわってて、ゴールとしては持っておかなければいけない、と。

松山:そういう意味では、先生ご自身はトータルチューリングテストにはそれほど重きをおいてらっしゃらないんですか。

石黒:河原先生のほうがテクニカルに、パフォーマンスの指標としてトータルチューリングテストをやるべきだ、と。例えば、「傾聴」という機能に限ればどれぐらいいくかとか [Kawahara et al. 2017]。でも、僕らはロボット屋なんで、トータルチューリングテストと言ったときに、全部合わせてどれだけ人間に近づいたかみたいなことになるわけで、ちょっと感覚が違うんですよ。河原先生は河原先生のなかで、タスクごとにどれだけ近づいたかっていう意味でのトータルチューリングテスト、一個一個のタスクがマルチモーダルなタスクなわけで。ロボット屋からするともう少しトータルチューリングテストに対するイメージは大きくて。本当に人間と普通に関われるようなものができるのか、というのがロボットの世界ではある意味トータルチューリングテストに対するコンセンサスかな、と。だからそちらへ向かおうとすると、意図や欲求を持つロボットでないとだめなんですよ。でないと話にならない。今までのロボットってそういうことを一切やってこなかったじゃないですか。与えられたタスクをやるとか、言われたことに応えるとか、自分で意思決定しないでしょ。次の時代のロボットは、僕はそこにしかないと思っていて。アマゾンエコーやグーグルホームがもし使われないんだとしたら、道具としてしゃべるやつとか、道具としては高齢者はたぶん使ってくれないんだろうなと。パートナーというかコンパニオンというか、その存在そのものが意味を成すようなものにしない限り、対話エージェントっていうのは存在しえないかもしれないな、と思う。音声認識や画像認識も100%はいかない。昔よりはめちゃめちゃよくなってるんだけど、それでも例えばアマゾンエコーで買い物できるかと言えば、できないですよね。音声スイッチはたぶん僕は破綻すると思ってるんですよ。もしああいう技術が生き残るとしたら、存在感を持った、話すことだけでも意味があるようなものにならないといけない。ただ、最近ちょっと思ってるのは、あまりに対話だけに偏るのは、人間として不自然な気もする。なにか一緒に仕事をしながら対話を楽しむような話でなければいけない。ひとりで何かを準備するよりも、ロボットとしゃべりながらやると気楽になるとかが、正しいんだろうなと思っていて。高齢者は対話だけでもいけるんだけど、それ以外のひとは対話プラス何かないとだめなんですよ。

松山:わかります。実際日常会話ってぞんざいですし、そんなに本気で会話するってそんなにないですしね。

石黒:対話だけで耐えられるロボットはもっと先ですよ。まずなんか仕事しながら、ちょっと雑談ぐらいしながら情報提供してもらうというロボットが先に来て。本当にロボットが面白いこと言えるようになったり、人間の知能と同じぐらいのもにになったら、ロボットとしゃべることが本当に楽しくなると思うんですけど、そこに行くにはまだまだ遠いですよね。高齢者とか自閉症のこどもならなんとかなるんですけど、健常者相手にまともに対話できるロボットは、まあそう簡単にはできないですね。

Hiroshi Ishiguro (Photo © Yoichi Matsuyama)

人とロボットの共進化 – 進化を感じさせる存在との会話

松山:対話相手としてのロボットにどういう動機や欲求を入れていけばいいかに対して、直感はおありですか。

石黒:まあ、関係構築ですよね。それから褒められたいとか、要するに社会的な欲求と個人的な欲求のふたつだと思うんですよね。ユニークでないといけないので、社会的な欲求が強いとみんなと同じになっちゃう。人間ってなんで人間に興味があるかっていうと、進化を感じさせるやつがいちばん興味の対象になるんですよ。コイツ面白いなっていうのは、コイツ進化するかもしれないと思うやつしか面白いって僕らは思わないんですよね。それをロボットとしゃべってて感じると「あ、コイツ俺より進化してるかもしれない」と感じるときが本当に人間がいちばん面白いと思えるものだと思うんですよね。これはやっぱり日本でないと作れない、今のところね。こういう話したら絶対ヨーロッパとかアメリカでは怒られるような気がするんですよ。

松山:めちゃくちゃ面白いと思いますけど。でも、一般的に受け入れられにくいかもしれないですね。

石黒:我々は誰に興味を持ってるんだとか、誰と話したいんだと言ったら、人類の進化をちょびっとでもいいから感じさせてくれるひとでしょ?だからロボットとの対話に本当に興味を持てるとすると、ロボットはそういうものにならないといけない。人にとって進化を感じさせるものにならないといけない。

松山:いやあ、面白いですね。研究テーマにしてきたいですね。

石黒:これ大事でしょ?でもここまでみんな踏み込んで考えてないんですよ。ヒューマン・ロボットインタラクション、で終わりなんですけど、そうじゃなくて、ロボットは人に進化を感じさせるレベルまでいかないと人にとって意味がないんだと。となると、ヒューマン・ロボットインタラクションじゃないんですよ、コー・エボリューションな感じなんですよ。コー・エボリューションにいかないと、「あ、コイツは面白い」という話にはならないかもしれない。

松山:僭越な言い方なんですが、僕も同じようなことをずっと考えてきたんです。対話は何のためにあるんだと。まあきっと対話システムも正直つくり飽きたんですよ(笑)ターンテイキングなども大事ですし、もちろん真面目につくるんですけども。僕自身は本来映画監督になりたかったんで、メディアとしての会話に興味があるんです。つまり、自己目的的に楽しまれる会話に僕は興味があります。

石黒:対話ってどういうタイプやってきたんですか?

松山:かつてはロボットで対話をつくることはやめて、人どおしの会話こそが最大のキラーコンテンツであって、それをわざわざつまらないロボットで切り替える、少なくとも今の技術でやるのは趣味が悪いと思ったので、人同士の会話がすでに存在してる状態の中で人同士の会話をオーギュメントする形で [Fujie et al. 2012] [Matsuyama et al. 2015]。

石黒:まあだから相づちを打つとか、傾聴とか?

松山:そうですね、傾聴は近いと思います。それを多人数でやるのが僕の研究テーマだったんですけど。高齢者は死ぬまで他者と会話したいというのは根源的なニーズだというのは現場に行ってよくわかったので、それをより鮮やかにするような仕事がロボットにとってその時点ではいいのかと思ったんです。

石黒:僕らも高齢者長くやってるんだけど、でもやっぱり高齢者から離れないと。本当の意味で世の中を変えるものにならない。高齢者は特殊なんですよ。一般社会にいないわkじゃないですか、高齢者の介護施設に入っているひとたちは。人が少ない中でまともに話ができないなかで、話したい欲求や繋がりたい欲求が強いですよね。ものすごくこども返りというか、欲求丸出しになるでしょ?欲求を丸出しにしてる人がロボットともしゃべれるんでうよ、こどもとか。欲求を隠しながら、それでも惹かれるという、そのレベルの対話っていうのが普通のひとには必要。だから、欲求丸出しじゃない会話ね。昨日、新しいERICAのプログラムの議論をしてて、まさにその話をしていたんです。

松山:非常に面白いですね。「進化を感じさせる存在としての会話相手」というのは持ち帰って考えたいことですね。

石黒:そこまでね、踏み込まないとたぶんロボットは日の目を見ないような気がして。Pepperで失敗して、その前はWakamaruで失敗して、JIBOもすべて失敗してる。その失敗してる原因は何かというのは、要するにロボットの存在というをものをすごく狭く、道具のように考えているからで。もうこれは新しい人類をつくっているんだ、ていうくらいの気合でいかないと。「ちょっと人間に似たようなものがどうしてそこに必要なんですか?」て言われたら「いや、これが我々の進化の方向だから」と言われるほうがいちばん納得できると思うんですよね。

松山:妻がいるんですけど、結婚相手を選ぶときにとにかく「会話が面白いひと」の一点で選んだんです。妻と話しているときがいちばん僕は楽しいわけですよ。なんでこれが面白いんだっていうことを考え続けることが僕にとって研究なんです。何でもない会話が研究の最前線で。

石黒:それはいいことだよね。家帰って楽しいってのはね。

松山:ええ、例えば以前、空港で飛行機を待つ間、嫁としりとりだけで3時間いけたんですよ。普通の会話じゃなくて、ただワードのやり取りをするだけで3時間いけたんですよ。タイミングも含め,相手が考えていることを想像した上での会話としてのしりとり。これはなぜかということを考えざるを得なくて。そういう存在をどうやってつくれるかって考えてたんですけど。進化っていう視点はなかったんで面白いなと。

石黒:何年くらい一緒にいるんですか。

松山:付き合いは長いんですけど、結婚して4年くらいですね。

石黒:どうですか?飽きない?

松山:飽きないですね。

石黒:奥さん、相当頭がいいんですか?

松山:と、思います。ある意味レベルが近いですね。

石黒:同僚っぽいですか?

松山:そうですね。

石黒:研究者?

松山:全然違います。普通のひとです。

石黒:大学が一緒とか?

松山:もともと共通の大学の友人がいて、変な女がいると紹介されて。いい意味で変わってるんですけど。好奇心が強いので、僕の考えていることを話してみて、跳ね返りを聞いて研究テーマとしてこれはイケるかなということを。

Geminoid HI-5 (Photo © Yoichi Matsuyama)

心の闇

石黒:必ず僕らは説明できない何かが根っこにあるんですよね。その説明できない何かを触ってくれるやつがすごく大事なんです。心の闇みたいなものだと思ってるんだけど。すべて自分の心を説明しきれるひとはものすごくソーシャルで、ある意味しっかりしたように思うのかもしれないけど。人間て矛盾の塊なんですよ。社会的欲求と個人的欲求はバランスしない、本来。

進化するには人より良くならないといけない、強くならないといけない、人より抜け出ないといけないんだけれでも。そいういうやつばっかりだったら、たぶん社会は成り立たないわけですよね。社会を構成しつつ、人より抜け出ないといけないという、もとから矛盾を孕んだ仕組みになってるわけです。倫理的にもそうだし。単純に生き残りゲームを戦っているのにみんなで協力しなさいって何?とか。単純に生き残りゲームなのに社会性が重要って何?とか。人類が発見した生き残るための方法っていうのは、人間個人から見ると結構矛盾してるんですよね。神様レベルから見るとたぶん矛盾してないんだけど、個人個人は矛盾しながら、自分を理解できないままに戦っているようなところがある。たとえば、いつも僕が言うのは、社会性を埋め込まれている理由は自分の中身をモデル化できないからなんですよね。自分の脳で何が起こっているかは観察しようがないし、このお腹の中で何が起こってるか観察しようがないし。たとえば脳の話をすると、自分の中に意識があるかどうかわからないけれども、人を見れば意識があるように感じる、と。人とのインタラクションなしに自分を理解しようがない。だから人とインタラクションしないといけない。けれどもそのインタラクションの結果、人よりも優れないといけないというような問題があって、常に自分の心の中を一生懸命に覗こうとしている、と。その心の中が単純だと進化に繋がらないんですよ。そこになんかよくわからないものがずっと残り続けていない限り、他の人と一緒になって終わっちゃうわけですよね。そういう心の闇みたいなものがずっとあって、そこを突っつき合えるような対話が続くっていうのはすごく強いなと思っているんですよね。こういう話がちゃんとできるひとってかなり少ないですよね。

松山:少ないんですか?

石黒:少ないっていうのと、あとは直感がいいやつがいても深くいかない。その深さに耐えられるひとがパートナーだっていうのはすごくうらやましいですよ。 

松山:まあ、うちの嫁がそうなのかどうかは分からないですけど。僕もこういう話が大好きなんですけど。今すぐには研究や論文にならないような話が。

石黒:今言ったようなことは、たぶん生物原理に近い話で、僕らが生まれ持ってるジレンマみたいなものなんですよね。そういうとこに根付かないとロボットの研究は、もううまくいかない気がしてしょうがない。そこまで行けるかどうか。 

松山:なるほど。

石黒:映画つくるんだったら、なんかそういうものを表現できそうな気もするわけ。

松山:いいですね。

石黒:フランスの映画みたい訳のわからない難しい映画になって終わっちゃうかもしれないしね(笑)

松山:いや、それはそれで人間の存在を描くわけで、矛盾は矛盾として描くのはいいんだと思うんですけど。

石黒:ロボットの根本にあるのはそういうことだと思うんですよね。

松山:じゃないとエキサイティングじゃないですね。

石黒:僕もこうやってしゃべると、頭の中がクリアになるというか、モヤモヤしてたものがちゃんと繋がる感覚が強くなるので、これでなんかプレゼンが一個できた気がします。

松山:それはよかったです。話し相手ならいくらでも喜んで行きます(笑)

石黒:最近一般でやってる講演では、「千年後には人間はロボットになる」っていう話を結構ちゃんと真面目にやるんですよ。NHK「最後の講義」で、だいぶ省略してあるんだけど。次ってこういうことなんですよ。

松山:対話システムは確かにドンッと行かないなと感じていて、本当にそういうところだと思うんですよね。

石黒:行っちゃえば行くんですけどね。僕らいろんな企業といっぱいやってるので。一個行けば、かなり行くと思うんですよ。その時は早いと思いますよ。人間とは何かっていう考えが急激に変わる瞬間だと僕は思ってるんですよ。インターネットでずいぶんと国という概念が変わったじゃないですか。もう国なんかないじゃないですか。グローバリゼーションが急激に進んだでしょ。ロボットが本当に出てきたら、人間の定義がごろっと変わりますよ。個人が変わると思う。インターネットで国が変わって、ロボットで個人が変わるんだと思いますよ。

世界を変える研究

石黒:義手や義足のひとがパラリンピックで早く走るとかいうのは、まさに進化だと僕は思ってるんですよね。それをまだどっかで、そこに踏み込みたくないとひとたちが多いんじゃないかと。でもまあ、研究者としてはそういうマインドでやらないと。何を目的に研究して、何を目的につくるのかって根本的な理由を誰も考えずに、なんとなくこれが世の中で流行っているからくらいにしか思ってないというのは、科学者としては何か欠けてるものがあったような気がします。

こういう議論を普段、哲学者とします。哲学者は僕は何人か雇ってるので。哲学者を雇ってる研究室は本当に珍しいと思うんですけど、毎年ひとりは必ず雇ってるので。哲学者ってね、申請書書いてくれたり、取りまとめたりするの、めっちゃ頭いいから、文章能力高いんでものすごく助けになるんですよ。クオリティの高い申請書が書ける。たとえば半分仕事を手伝ってくれたら、あと半分はもう好きにしていいからっていう感じで。結構うちの哲学者みんな出世しますよ。

松山:面白いですね。ちなみにこれまた個人的な話ですけど、僕もポスドクの期間もそろそろ終わって、自分なりに独立、自分の世界を作らなければいけない段階に来たんですが。どういうラボにすればいいのか、最初は何を大事にすればいいんですかね?

石黒:僕はあんまり考えたわけではないんで。でもふたつ言われて、常に基本問題を考えなさいと言われて、それは阪大の辻三郎先生の大事な教えで。京大の石田亨先生には世の中変えるようなことしろ、論文ばっか書いてんじゃねーぞと言われて。それは大事ですよね。

松山:この文脈において、世の中を変えるというのはどういう意味ですか?

石黒:インターネットで世の中が変わったみたいに世の中が変わること、それを目指せと。どうも、我々は近視眼的になるんですよね。ロボットは人類の進化だというくらいの割り切りで研究をデザインするとか。あんまり言い過ぎると、怒られるっていうか理解されないんで。でも、根っこにはそういう信念があるというのが大事かなと。

松山:いやあ、面白いです。貴重なお時間をありがとうございました。

Hiroshi Ishiguro, Tatsuya Kawahara, and Yoichi Matsuyama (Photo © Yoichi Matsuyama)
Geminoid team and ArticuLab (Photo © Yoichi Matsuyama)

Project Details

ISHIGURO Symbiotic Human-Robot Interaction Project

  • Mission Statement: “Invention of Interaction Technology involving various communicative means as human use them, and Development of Autonomous Robots capable of naturally interacting with humans ranging from children to elderly in social contexts.”
  • Brief description of the project: “This research area engages in the development of Symbiotic Human-Robot Interaction, and its goal is to develop autonomous social robots that can communicate with multiple humans via various communicative means as humans use them. In order to achieve the goal, it is necessary to develop certain devices and technologies: (a) surface skin material and internal structure for safe interaction with humans, (b) robust and flexible speech recognition technology, (c) functions of autonomous context- and task-sensitive communication on the basis of a hierarchical model consisting of desire, intention, and behavior including speech acts, and (d) functions of using multiple communicative means to communicate with multiple persons in social contexts.”

Reference

  • [Ikegami et al. 2017] Itsuki Doi, Takashi Ikegami, Atsushi Masumori, Hiroki Kojima, Kohei Ogawa, and Hiroshi Ishiguro, A New Design Principle for An Autonomous Robot. In Proceedings of the European Conference on Artificial Life 14, vol. 14, pp. 490-466, MIT Press, 2017.
  • [Izhikevich 2003] Eugene M. Izhikevich, Simple Model of Spiking Neurons. IEEE Transactions on neural networks, 14(6):1569–1572, 2003.
  • [Ishiguro et al. 2011] Kohei Ogawa, Shuichi Nishio, Kensuke Koda, Giuseppe Balistreri, Tetsuya Watanabe, and Hiroshi Ishiguro. Exploring the Natural Reaction of Young and Aged Person with Telenoid in a Real World. JACIII 15, no. 5 (2011): 592-597.
  • [Ishiguro et al. 2016] Dylan F. Glas, Takashi Minato, Carlos T. Ishi, Tatsuya Kawahara, and Hiroshi Ishiguro. ERICA: The ERATO Intelligent Conversational Android. In Robot and Human Interactive Communication (RO-MAN), 2016 25th IEEE International Symposium on, pp. 22-29. IEEE, 2016.
  • [Yamanaka et al. 2006] Kazutoshi Takahashi, and Shinya Yamanaka. Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors. cell 126, no. 4 (2006): 663-676.
  • [Kawahara et al. 2017] Divesh Lala, Pierrick Milhorat, Koji Inoue, Masanari Ishida, Katsuya Takanashi and Tatsuya Kawahara. Attentive Listening System with Backchanneling, Response Generation and Flexible Turn-taking. In Proc. SIGdial, pp.127–136, 2017.
  • [Fujie et al. 2012] Shinya Fujie, Yoichi Matsuyama, Hikaru Taniyama, and Tetsunori Kobayashi, Conversation Robot Participating in and Promoting Human-Human Communication, The Transactions of The Institute of Electronics, Information and Communication Engineering (IEICE) A, Vol.J95-A No.1, pp37-45, 2012.
  • [Matsuyama et al. 2015] Yoichi Matsuyama, Iwao Akiba, Shinya Fujie and Tetsunori Kobayashi, Four-Participant Group Conversation: A Facilitation Robot Controlling Engagement Density As the Fourth Participant, Journal of Computer Speech and Language, 2015. (DOI:10.1016/j.csl.2014.12.001)

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